所在地
建設当時:東京府荏原郡駒澤村字新町(東京府荏原郡駒澤町字弦巻)
現在:東京都世田谷区弦巻2丁目41番
標高
46m(世田谷区内では最高地に近い地域です)
※渋谷町の最高地標高が約36mです。弦巻の丘に給水塔をつくって、塔の水深を18mにすると満水面の標高は64mになります。渋谷町との標高差は28mにもなり、自然流下で配水ができたわけです。
給水塔
□設置数:2基(将来3基目を設置するための場所は確保されていましたが、実現はしませんでした)
【右写真】駒沢給水塔が三塔構成になった場合の想像図(CG作成は会員の山本淳氏)
□内径:12.12m~14.55m
□塔高:約30m
□有効水深:18.18m
□容量:2,750㎡
□設計者
顧問:中島鋭治
補佐:仲田総治郎
□竣工年
第2号給水塔(北側):大正12(1923)年3月
第1号給水塔(南側):大正12(1923)年11月
□外観
用途は水を貯めるためのものですが、外観は古典主義的な趣向を取り入れた装飾的なものです。
周りの壁は鉄筋コンクリート製で、12本のピラスター(付け柱)が給水塔の上部まで伸び、頂上部には直径53㎝の薄紫色のグローブ(竣工当時はガラス製、現在はポリカーボネート製)が取り付けられています。この意匠が給水塔をして「丘上のクラウン」とハイカラに呼んだゆえんなのです。
こうしたお洒落な塔を2基並べ、間をトラス橋で繋いでいます。外周には「清冽如鑑(セイレツカガミノゴトシ)」、「滾々不盡(コンコントシテツキズ)」などの銘文が埋め込まれていて、当時の関係者の思いがひしひしと伝わってきます。
屋根は外からは見えませんが、平均10㎝の厚さの鉄筋コンクリートで覆われ、塔の内部中央に6本の支柱を立てて、屋根を支持しています。さらにその上に和風の四阿(あずまや)を形どり、屋根を欧風のドーム状にふき上げたパーゴラを設置しています。塔にあたかも中世古城の面影を与えているのが実はこの塔頂のデザインで、ここにも単なる施設に対する関係者の思い入れと遊び心を感じます。
□関連資料
(1)構内平面図(水道局提供)
(2)給水塔拡大正面図(水道局提供のものを駒沢給水塔風景資産保存会で加筆)
(3)水道敷設記念碑の碑文全文(駒沢給水塔風景資産保存会で作成)
水道施設としての現況
現在、駒沢給水所は無人管理で立ち入り禁止になっています。給水所は震災時に飲料水を供給する応急施設となっていますが、約3000トンの水を配水池と2基の塔に少しずつ貯留し、3日間で順次一定量の入れ替え操作をしています。