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杉山智恵くんのケース


小学校6年生(12歳)。家族構成は両親、姉(17歳)、闘病児(10歳)である弟の亨太くんの5人。

弟さんは智恵ちゃんが6歳の時にムコ多糖症の診断を受け、入院し、さい帯血移植を受けました。 現在外来通院中です。



■どんな家族か教えて
えーっと、(お姉さんは)ときどきちょっといじわるするときもあるけど優しくって頼りになって私の憧れのお姉さん。

亨太は闘病児だけど、でも優しくって元気で、もう普通の元気な子だったらもうみんなの人気者になれたのにちょっと病気だからって悲しいなぁって思いながらも、病気だからこんなに優しくなれたんだったら、私はそれを感謝したいです。


■亨太くんはどういう病気なの?
ムコ多しょう(ムコ多糖症)です。体がかたくなって自由にまげたりできない病気です。 今は退院してて元気です。でも1回入院したけどまた退院して元気です。

5歳くらいから病気でクリーンルームに入って骨髄移植をやったりとか、何にも食べさせてもらえなくって点滴で栄養とかおくってもらってすごい辛かったみたいで、1回だけ秘密でクリンルームに行ったことがあって。 ほんとはいけないんだけどお母さんたちと一緒にいっちゃいました。 思ったより元気でよかった。


■そのときはどれぐらい入院したの?
(首をかしげて)おぼえてないです。


■智恵ちゃんの生活どんなだったか覚えてる?
朝起きてお姉ちゃんと一緒にごはんたべて小学校行って、帰ったらベビーシッターさんがいてその人と一緒に公園にいったりしてました。 お父さんはいたけど、お母さんはほとんど弟のクリーンルームに行ってたりしました。 ベビーシッターさんとは公園に行って歩いたりとか…遊ぶっていうよりどこかうろつく?(笑)


■じゃぁそのころ智恵ちゃんが頑張ってたことは?
お母さんとかに会いたいけどそれを我慢した。 その頃、お母さんは帰ってきたりしてたかおぼえてないです。 他の兄妹がどうしてたかとかもおぼえてないです。


■ごはんとか誰がつくってたの?
…お父さんとか、親戚のおにいちゃんとか。 お姉ちゃんとはクッキーとかおやつづくりしてた。 弟が退院してからもクッキングーとかテレビの真似して3人でよくつくってた。

あるとき、亨太がエプロン燃やして!(笑)クッキングはいつも楽しかった。


■寝るときはいつもどうしてたの?1人?
1人だったと思う。でも弟がもどったときに3年生くらいまではお母さんと弟と一緒に寝てました。 弟にこれ以上お母さんとられるもんかぁって甘えてたんですね。

お姉ちゃんはもう一人立ちしてました。 あ、でも時々一緒の時もあったけど違うところで寝るときもありました。


■智恵ちゃんは亨太くんが入院してどんな気持ちだった?
死なないように。 お母さんも弟を同じ病気で亡くしてしまったから同じようにならないように。 すごい心配して。それだったらお母さんがいなくても我慢できるって気持ちになりました。

だから、弟が退院できたときはすごい嬉しかったです。 本音を言えば、お母さんがもどってきたとか、でも弟が死ななくてよかったとか。 それとか1人で、ベビーシッターさんも弟が帰ってきてからもしばらくいて、そのときとかも2人で遊ぶより弟とかいた方が楽しかったから、すごいよかった。 お姉ちゃんがその頃にはもう遊んでくれなくなってたから。


■亨太くんが入院してる間に智恵ちゃんが困ったことはあった?
お母さんがいないこと。寂しいときとか相談にのってほしいときとかぁ…。

お姉ちゃんは遊び回ってたし、お父さんにはやっぱり話せなかった。 なるべくは話したけどやっぱりお母さんのほうがいい。どんなことだったのかはおぼえてません。 たぶん学校のことだと思います。「100点とったよ〜」とかは(お父さんに)言えるけど。 なんかお母さんじゃないとお父さんだったら…その頃お父さんがすごい恐くってあんま言えなかった。 今は全然言えるけど。 そのときは宿題とかやったら終わりって感じにしてて、5年生とかになってやっとお父さんとかに「みて〜」っとかいってますね。

3年生の時すごい忘れ物ばっかしてて忘れ物女王になりそうでした。たぶん弟が退院してから。

私の入学式だれが準備したんだろう?わかんない。おぼえてない。すごい大事な時期にお母さんいなくって。 もうお母さんが家に帰ってるのが遅くって、でも私育ち盛りだから起きてられなくって(笑)、クリーンルームのときとか病院に泊れないから帰ってきてた。会えなかったけどね。

その頃、私すごい泣いて4年生の3学期まで教室から先生に追い出されるぐらい大きい声で泣いてた。 授業もすっごくつまんなかった。けどこれじゃだめだってある日思ってそれから泣かないようにしました。 その頃は先生にちょっと注意されたり、ちょっと男の子にからかわれただけで泣いてました。

亨太が入院してた頃じゃないけど、お母さんに相談できないから泣いてたときもあるけど、相談にのってもらってもやっぱり泣いてた。 泣くのでストレス発散?みたいなことになってたかも。 今日も学校で泣いちゃったんですけど久しぶりに泣いたら後ですごい目が痛くなって目痛いって思って。 前は何時間泣いても平気だったのに…今ではなれてないから泣いたら痛かった(笑)。 前は1日2回は泣いてたけど今は1月でも泣くか泣かないかぐらい。 なんであんなに泣けたのかがいまではわかんないです。


■退院してきて今は亨太くんのことどう思ってる?
いなかったら寂しい。時々入院しちゃったりしちゃうとき寂しい。 優しいし、お姉ちゃんはすぐからかったりするし。 よく(亨太と)喧嘩もするけど仲良しで…今では一心同体?って感じです。

お姉ちゃんは「私たち姉妹でいるのやめよ!!友だち!大親友になろ!」ってある日言い出したんですよ。 けど、しょっちゅう「智恵と姉妹やめる」ってからかうんですよ。 前はねそうやってちょっとからかわれるだけで「お姉ちゃん、そんなこと言わないで」って感じだったけど今ではさらりと「あぁお姉ちゃんはこういう性格なんだ」ってわかってきたから大丈夫!でもほんとうに姉妹止めるって言われたら「やだ」っていいますけど、お姉ちゃんからかい半分に言うんですよ! だから最近では「そんなこというなら智恵と姉妹やめよっかなぁ」ってお姉ちゃんが言うとき「いいよ」って言ってやるんですよ。(笑)

亨太には暴力ふるわないほうがいいなってわかってても、からかって何かやったりとかぁ…。 前はほんとにすごいひどくっていろんなことやったけど、6年生の一学期に健康学園に行ってその寮で他の子どもたちと兄妹みたいな感じで暮らして「あぁこういうことはやっちゃいけなかったんだぁ」って「亨太ごめんね」って感じで思って、すごいいいところですよ!そうじゃなきゃ今でもやってます。 今でも少しだけやってるけど…。今はくすぐりとかの方が多いです。 そこで、けっこうすごいひどいことやってる子がいて、あぁ私もこういう感じだったんだぁ…亨太ごめんねという感じです。

今でもつっこみってやったりするけどお母さんに怒られる。 私は年の近いのは弟だけど6つ離れてるお姉ちゃんより私、身長あるからじゃれてつっつこうとしたらお姉ちゃんは大人だからさらりとかわすし、弟は病気だからダメだし。 なんか暴れる場所がほしい。健康な姉を持ってるのにその姉がかまってくんないから…。病気の弟をやっちゃうって感じ。 何回もお母さんに「やめなさい」って言われてもやっちゃうんですよ。 難しいんですよ。


■智恵ちゃん将来の夢は?
ありません。昔はイラストレーターになりたかったけど、どんどん夢がかわっちゃうから。 もっと先にじっくり考えればいいやって感じ。 今は大きくなったら自分1人で独立してちゃんと生きていけるようになりたいです。

結婚してる人は独立してないとは思わないけど、私は結婚したくない。 けど家に迷惑をかけないで1人立ちしたい。 けどこんなこといってても20歳になっても30歳になっても家にいたりするかも。 うちの母親は独立してるとおもうけど私は結婚したくない…・。 結婚詐欺があるから。それに幸せになれるかかぎらない!


■最後に一言何かある?
闘病(中)の子どもたちは一生懸命頑張ってるので、その、みんなは元気な体なんだから負けずに、私もそういうことは言えないけど、頑張ってその人たちも生きるために努力して元気な体になるためだから元気な体の人とかはそれよりももっと頑張ってほしいし、元気な人たちは闘病の子どもたちにその元気をわけてあげるためにお手紙とかを書いてほしい。 そしたら、すごい嬉しいと思う。

兄妹児のためにも待ち合い室にもうちょっと本とか増やしてほしい。 でも、その子がもうちょっと動きたいとかだったら、子ども向けのゲームとか…。 それで待ち合い室に知らない男の子とかいてもその子たちと遊べたらいいなって。 待ってられる場所があるってことだからプレイルームがほしい。病院って静かなイメージがあるけどそういうところでちっちゃい子とかがギューッて待ってるのかわいそう。 だからそこ(プレイルーム)で発散させてあげるの!

病気の子は少なくともお母さんとかとほとんどの時間、私の弟はほとんどくっついたりできて、離ればなれだったけど、私のほうがお母さんに会う時間なくて。 私たち(きょうだい児)の方が我慢しなきゃいけないことが多くって、そこで甘えたら「あの子のためでしょ」っとか言われちゃってすごい甘える時間が少ないし、ほめてもらいたいとか思っても、だめとか…。そういうことがいっぱいあるから。

前の学校の先生は難病のこととかお母さんに教えてもらったりしたから「あぁこういうのはだめなんだなぁ」っていうのでわかってくれたけど、クラスの子とかがすごい弟のことを『亨太菌』って移る病気でもないのに言って。 私はすごい心が傷付いた。 病気の子どもたちは一生懸命頑張ってるのにそういうふうに不愉快にさせたりするのはやめてほしい。それにたいして先生は何もしてくれなかった。

(病気の子どもをもつ)お母さんがたに言いたい! 病気の子どもばっかりっていうのは止めた方がいいと思う。 待ってる子とかすっごく我慢してるし病気の子どもも大切だけど、そっちの子の方が大切とか思うけど、休みの日とかはその家で待ってる子の相談に乗ってあげたりとか、触れあう時間を大切にしたほうがいい。 私はベビーシッターさんもお姉さんもお父さんもいたから…。けどやっぱりベビーシッターさんよりお母さんがいいし。


■インタビューを終えて
弟が退院して、きょうだい3人でお菓子を作った話をとても楽しそうに話していました。 「弟にこれ以上お母さんをとられるもんかぁ」お母さんと過ごせないさみしさは大きいようです。 「本音を言えば…」と当日まだ小学校1年生だった智恵ちゃんも、親の前ではいろいろ演じていたようです。 お母さんにしか話せないことがあるようです。 自分の体験を通して、たくさんのことを考えていました。


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